top of page
email signature logo.png
Nature
Hideyuki Sobue's Nature work entitled "Marigolds"

Japanese sumi ink & acrylic

Nature

かつてカラヴァッジオは言った、「優れた花の絵を描くことは、自分にとって、人物を描くのと同じぐらい技量のいることだ」。それは、カトリックの反宗教改革の下、聖書主題の芸術作品を聖として「生ける自然(ナトゥーラ・ヴィヴェンテ)」と呼び、花や果実などの主題を「死せる自然(ナトゥーラ・モルタ)」と呼んで貶めた時代にあって、まさに革命的な発言であったはずだ。カラヴァッジオは、人物を描くのと同じほど丹念に籠に盛られた果実を描き、聖と俗の境界を除いてしまったのだから。こうして、彼は静物画という新たなジャンルを拓き、西洋美術を革新したのだった。

 

ところで、自然のもつ固有のテクスチャ、色彩、多様性、そしてそれらの絶妙な調和を目にするとき、その造形美の妙にはいつも感動を覚える。殊に、絢爛豪華に咲き誇る花よりもむしろ、ボクは様々な葉のかたちを描くことを好む。ところで、日本の伝統美術には、自然を主題としながらもその背後に深甚な意味を盛り込む歴史がある。それは、この世の栄華の虚しさであり、命の儚さの象徴なのだ。ボクは、このコンセプトを再解釈し、様々な葉のかたちやしばしば見過ごされてしまうような小さき草花などを描くことで、存在の無常について、その尊厳について表現しようと試みている。それはまさに西洋美術にも見られる『メメント・モリ (死を想え) 』の思想に符合するもので、ことにバロック美術において顕著だ。

 

カトリックの反宗教改革がイタリアを席巻する時代を駆け抜けたカラヴァッジオが、劇的な明暗対比によるキアロスクーロを駆使して革新的なリアリズム絵画を確立し西洋美術を革新した同時期、オランダの黄金時代を築いた天才画家たちは、萎れた花や髑髏、砂時計など象徴的な事物を描き、移ろいゆく現世の儚さを表現した『静物画』というジャンルを確立していった。いずれも美術の流れとしては異なる範疇に属するとはいえ、命の儚さ、そしてその終わりは死であることを深く物語るものだ。

 

ところで、宗教主題の作品を多く制作したカラヴァッジオだが、そこに描かれた事物や群像は世俗的で土臭く、ゆえに強く観る者の感情に訴える力に満ちていた。闇の中に照射され光のうちに浮かび上がる事物が日常の地平からその深い精神性を露わにするような、その独特の様式、すなわち美術史家ロベルト・ロンギが定義したルミニスムを確立したのも、この時代である。その影響はイタリアはおろか、全ヨーロッパに波及し、『静物画』における象徴的表現にこだましている。落ち葉や草花など自然の事物を丹念に描く行為は、ボクにとってこれら往年の巨匠たちとの対話そのものであり、生命の尊さと儚さ、死すべきものと永遠に存続するもの、そして光と闇についての黙想なのだ。

Nature - Daisy.jpg
  • Instagram
  • Facebook
  • LinkedIn
  • YouTube
  • Vimeo
bottom of page