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A Letter to the Earth from Beatrix

Allan Bank, The National Trust, Grasmere

Soft Opening: 16 March - 22 September 2022

with open access to artist working in progress,
then completed murals for visitors

Hard Opening: 23 September - 15 December 2022

with complete installation of whole project,
including exhibition and workshops

New Season: 27 May - 29 October 2023

with complete installation of whole project,
assembling new series of animal portraits
A Letter to the Earth from Beatrix

     古の丘に取り囲まれたグラスミア湖を背に広がる閑静な村グラスミア。その歴史は古く中世にまで遡る。グラスミア谷の森の中にひっそり佇むアラン・バンクからは、山々が取り巻く湖と村の営みが一望できる。現在、ナショナル・トラストが所有するアラン・バンクは、湖水地方の懐に位置する重要な歴史的建造物の一つに数えられる。1805年、リバプールの弁護士グレゴリー・クランプの要請で建造されたアラン・バンクは、まもなく賃貸住宅として貸し出され、その住人はロマン派桂冠詩人ウィリアム・ワーズワースとその家族をはじめ、湖水詩人の一人サミュエル・テイラー・コールリッジ、ナショナル・トラスト創立者の一人ハードウィック・ローンズリーとその妻エレノアなど、多くの著名人が名を連ねる。アラン・バンクは、まさに創造と革新を育んだ場所だった。ワーズワースが『湖水地方案内(原題 "A Guide through the District of the Lakes")』初版原稿を完成させたのは、ここアラン・バンクだった。本書は版を重ね、改訂版においてワーズワースは、湖水地方来訪者たちの思慮に欠けた営為による環境破壊に対する批判を強めてゆく。ワーズワースの伝記作家であり、評論家、TVキャスター、大学教授など多彩な顔を持つジョナサン・ベイト卿は、ワーズワースの環境保護活動家としての見解がその後の流れをどのように変えたのかを説いている。ヴィクトリア朝時代の美術評論家にして社会改革者ジョン・ラスキンをはじめ、アメリカ合衆国ヨセミテ国立公園設立を主導した自然主義者ジョン・ミュア、前述のハードウィック・ローンズリー牧師、その彼に多大な影響を受けた児童文学作家にして環境保護活動家ビアトリクス・ポターなど、その影響は計り知れない。彼らの声は、深刻な環境危機に直面する現代にいっそう大きく鳴り響いている。

 

  本アートプロジェクトでは、殊にビアトリクス・ポターに焦点を当て、その多岐にわたる業績をインスピレーションとして象徴的に取り扱い、自然と人との営みについて美術的アプローチを試みた。美術家にして研究者、大成功を収めた絵本作家にして農場経営者、起業家であり、かつ環境保護活動家であったビアトリクスは、湖水地方の自然を護るローンズリー牧師の情熱を体現したその人だった。絵本の売り上げから得られた財力と自ら拡げていった人脈を駆使して多くの地所を買い占めていたずらな土地開発から護り、それらのほぼすべてを創設初期のナショナル・トラストに遺贈したビアトリクス。それは、今日の湖水地方国立公園全域の25パーセントを占めるほどの規模だった。さらに、伝統酪農の存続を成功させ、ハードウィック羊を絶滅の危機から救ったのもビアトリクスだ。ハードウィック羊は、文化的景観部門においてユネスコ世界遺産に登録を果たした湖水地方の景観に欠かすことのできないものだ。

  本プロジェクトでは、ビアトリクス・ポターの巨大な肖像画、および自然を象徴してトネリコの大樹の壁画で構成、アラン・バンクの内壁を自身のアートで埋め尽くそうと構想した。屋敷内に足を踏み入れて目に飛び込んでくるビアトリクスの巨大肖像画は、かつてここに住んだローンズリーを筆頭にしてラスキン、ワーズワースへと収斂してゆく自然環境保護運動の途絶えることのない流れを象徴するものだ。歳にして20代前半のビアトリクス、後に大成功を収め、数々の業績を残すようになる若き日の彼女を、あたかも太古の神話に登場するミューズの一人のように不朽の相貌として描き上げることで、彼女の声を現代社会、そして未来へとこだまさせてみたいと考えた。また、かつて誰も描いたことのない仕方で若きビアトリクスを表現することを通してより若い世代の関心を高め、彼女が次第に傾注してゆく環境保護への思いが現代の若き環境保護活動家たちの思いに重なるよう試みた。一方、トネリコの大樹の巨大壁画は、現在瀕死の危機にさらされているセイヨウトネリコに焦点を当て、近い将来その保全活動に乗り出すナショナル・トラストの今日の取り組みをビアトリクスの思いに結び合わせる試みだ。また、作風は日本の伝統絵画様式、特に酒井抱一や鈴木其一といった江戸琳派の画風をインスピレーションとして構成した。それは、ビアトリクスが育った時代にヨーロッパを席巻した美術運動ジャポニスムを想起させる試みでもある。これは、今年ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム(ロンドン)にて開催のビアトリクス・ポター展に展示される、かつてケンジントンのポター邸にあって現在は湖水地方のヒルトップに収蔵されている、19世紀後半造作の和箪笥とも呼応するものだ。日本の伝統建築の装飾の要であり、かつその仕様は極度に図案化された絵画様式を取り入れようというこの壁画制作の試みは、イギリスの田舎、ここ湖水地方に佇む極私的な歴史的建造物の内壁を単に装飾するのでなく、かつて大洋を越えて展開された富と帝国と美術運動の軌跡を国際的な枠組みで捉え直すことができるのではないか。ところで、本トネリコの大樹は、カートメル大聖堂脇に大きく枝を伸ばすトネリコの老大木をモチーフとした。かつて詩人ウィリアム・ワーズワースが、天寿を全うせずして亡くなり、聖堂墓地に眠る師を悼むためにこの聖堂を訪ねたという。ワーズワースが『湖水地方案内』初版を執筆したのは、ここアラン・バンクだった。後の重版本は環境保護運動の先駆けとして湖水地方のみならず、アメリカでも反響を呼んだ。その志を継いだ英国国教会牧師ハードウィック・ローンズリーこそ、ビアトリクス・ポターに環境保護の大切さを説いたその人だった。このトネリコの老大木は、途絶えることなく今日まで続く環境保護への切なる思いを象徴している。さらに、9月のハードオープニングには、ビアトリクスのドローイングに着想を得た小品シリーズを特別に設けた展示室に用意し、併せてビアトリクスのドローイングおよび木製パネルに描いた肖像画、そしてワーズワースおよびローンズリーの肖像ドローイングを併設展示して、文字通りアラン・バンク邸内を自らのアートで埋め尽くすことを試みた。

  本小品シリーズでは、特にビアトリクスの多岐にわたる業績へのオマージュの一環として、彼女の創造性に焦点を当てることを試みた。周知の通り、ビアトリクス・ポターの名は、彼女の生み出した『小さな本』、すなわちピーターラビットのおはなしシリーズと同義語である。その揺るぎない人気の秘密はどこにあるのだろう。思うに、それはビアトリクスが生み出したキャラクターたちの、今にも目の前に飛び出してきそうな、生き生きとした表現描写にこそある。たとえば、ジェレミー・フィッシャーどん。どこからどう見ても、ヌメヌメしたずんぐり体型のガマガエルだというのに、ビアトリクスの手にかかるとまるで魔法のように愛くるしいキャラクターに変身してしまうのだ。その表現描写の巧みさは、ビアトリクスが幼少から培ってきた絵心が下地になっていることは間違いない。ウサギはもちろん、ハツカネズミ、ハリネズミ、トカゲ、カメ、コウモリなど、いろいろな小動物をペットにして写生しているビアトリクスだが、とりわけ興味を惹かれるのは、彼女が残した膨大な量に及ぶキノコ類のドローイングだ。それは単なるドローイング集ではなく、当時の菌糸類研究の先端を行く独自の研究資料だった。ビアトリクスは、その成果を『ハラタケ属の胞子発生について』と題した論文にまとめ、分類学・博物学の権威であるロンドン・リンネ学会に提出することを試みたが、当時は女性研究者に門戸は開かれておらず、学会での論文発表を断念、やがてキノコ類のドローイングもやめてしまう。アンブルサイドのアーミット図書館には、ビアトリクスが寄贈した400点以上ものドローイングが収蔵されており、かつてそのオリジナルドローイングを幾点か見せていただく機会を得たが、美術家と科学者の才を併せ持つその精緻な描写には舌を巻いた。ビアトリクスが自身の元家庭教師アニー・ムーアの息子ノエルに送った絵手紙をもとに創作した絵本『ピーターラビットのおはなし』が世に出るのは、その数年後のことだった。彼女の生み出したキャラクターたちは、その秀逸な観察眼抜きには語れない。本小品シリーズは、ビアトリクスの日常観察から生まれた数々のストーリーとそれに命を吹き込んだキャラクターたちを、今日の湖水地方に拠点を置く日本人美術家として自ら再解釈し、自身の日常で観察された小動物たち(我が家のペットたちも含む)の肖像シリーズとして完成させた。

  2022年公開の動物肖像画シリーズの成功を踏まえての新シリーズでは、前作同様、自身の日常で観察された小動物がモチーフとなっているが、前作を凌ぐシリーズを構想し、より視野を広げて現代社会に深く切り込むコンセプトを模索した。たとえば、作品『Portrait #16 (Herdwick ram, a rogue politician)』は、一見したところ、ある特定の政治家への辛辣な風刺画と解釈されることだろう。しかし、その本意はむしろ、現今の世界規模で認められる腐敗した政治が孕む権力と堕落と虚偽に対する疑義提起を暗喩的に表現しようとの試みに他ならない。『ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし』などは、主だったキャラクターたちがみな爬虫類で、そのジェレミーの友人たちに「アイザック・ニュートン卿」とか「アルダーマン・プトレマイオス亀」(アルダーマンはイギリス英語で参事会員すなわち国会議員、プトレマイオスは天動説を説いた古代ローマの天文学者)などと命名する当たり、そこに頑固な学術界の権威に対するビアトリクスの痛烈な風刺を認めるのは容易だ。彼女の場合は、ロンドン・リンネ学会を念頭に置いていたはずだ。こうした政治における頑迷さや堕落、権威主義といった負の連鎖は今日、新たな戦争や暴動を世界各地で引き起こしている。これに呼応して制作したのが『Portrait #15 (Cat, an armed policewoman)』だ。武装婦人警官の猫を描くことで、性差別、人種差別、権力濫用など、はびこる悪徳から民を護るピースキーパーとしての正義を象徴化させる試みだ。

  また、過去から未来へと連なる歴史の途上で認められる人類の飽くなき努力への眼差しも、本シリーズのうちに織り込んでみたいと考えた。たとえば、『Portrait #14 (Badger, Memento Mori)』は、ご覧の通りアナグマの髑髏(どくろ)を肖像として描いた作品だが、その副題に「メメント・モリ」の一語を添えることで、西洋美術が思想的に温存してきた「メメント・モリ」すまわち「死を思え」という永遠のメッセージへのオマージュとなっている。このアナグマの髑髏は、愛犬のスプリンガー・スパニエル、ジョーと近くの森を散歩中に見つけたもので、そこから本作のコンセプトを練り上げた。2023年初頭、この愛犬ジョーは癌により他界し、筆舌に尽くしがたい悲しみに打ちひしがれた。『Portrait #23 (Springer Spaniel, a countryman)』は、そのジョーが残してくれた幸福な思い出への賛歌である。また、『Portrait #18 (Rat in spacesuit)』では、宇宙開発時代に生きる人類の行方について、その意味を模索した。本作に描かれたドブネズミは、太古の昔から人間が向かうところどこにでも、船に潜り込んで共に旅をし、繁殖してきた小動物。果たして宇宙への旅にも同伴することになるだろうか?このドブネズミ、そして『Portrait #22 (Shrew napping in hammock)』に描かれたトガリネズミは共に、前シリーズで登場した我が家の愛猫メイが捕獲してきたもので、彼女の力添えなしにはこれらの作品は生まれ得なかった。

  さて、『Portrait #13 (Android Herdwick lamb dreaming of electric sheep)』だが、副題を邦訳すれば「電気羊の夢を見るハードウィックの子羊アンドロイド」となる。ご存知、フィリップ・K・ディックの予言的小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」へのオマージュとして本作を構想した。この小説をもとにリドリー・スコットが監督した映画「ブレードランナー」は、最も好きな映画の一つだ。本作のコンセプトは、加速度的に進化し続ける人工知能(AI)と近未来がテーマとなっている。コンピュータサイエンス、またIT業界で世界的に著名な研究者たちにより、汎用人工知能(AGI)の到来に伴う人類の存在論的危機が声高に叫ばれる中、いったい人間はどこに向かって行こうとしているのかと自問しているわけだが、本作では、黙示録的ディストピアではなく、カズオ・イシグロが小説『クララとお日さま』に描いたアーティフィシャル・フレンド、いわゆる人工友だちとして登場するヒューマノイドのクララと結ぶことができたような関係を築いてゆくことができれば、とのささやかな希望を子羊に象徴化させてみたいと考えた。さらに、『Portrait #19 (Red cow, a melancholic butcher)』においては、差し迫った環境危機がテーマとなっている。その要因の一つに、世界的な食肉の過剰消費が挙げらるわけだが、本作に描かれたアカウシはこう自問つつ途方に暮れている。曰く、自分たちがどのように牧草の摂取量を減らして、牧地確保に伴う森林伐採を抑え、しかも同僚たちの肉を加工して人間たちの飽くなき貪欲を満たしたらいいのか、それができるとすれば、と。他の作品も、概ね前作同様のコンセプトを踏まえつつ、あるものは微笑ましく、あるものは風刺を込めて、またあるものは滑稽に現代社会の諸相を写し出すよう努めた。なお、この動物肖像画シリーズはすべて、鑑賞者に独自の色彩解釈を委ね、鑑賞者とともにそれぞれのキャラクターに命を吹き込む場を共有したいと考え、敢えてモノトーンで描くことで完成とした。こうして、本プロジェクトのタイトルを、若きビアトリクスが年を重ねた自らに、そして後世に送るメッセージとして位置づけ、『A Letter to the Earth from Beatrix(邦訳/大地へ捧ぐ ビアトリクスの手紙)』とした。 

  以上すべての作品を、自ら開発し、過去18年以上にわたって追求してきた線描技法を駆使して完成させた。この技法は、ルネッサンスはフィレンツェ派が基礎に据えたディセーニョに着想を得、現代脳神経学の知見(その一つに、人間の視覚脳は事物の知覚をおよそ線的情報として処理している)に示唆を得て独自に開発したものだ。

  なお、本プロジェクトは英国芸術協議会の助成を得、アラン・バンクのキュレーションに基づく芸術プログラムの一環として実現した。また、プロジェクトは、ナショナル・トラストが共同キュレーションに携わるヴィクトリア&アルバート・ミュージアムにて開催のビアトリクス・ポター展ともリンクされることになった。

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これは英国芸術協議会助成プロジェクト『A Letter to the Earth from Beatirx』の最終報告書です。詳細は画像をクリックしてください。(ただし、英語のみ)

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